ベスパが誕生したのは、第二次世界大戦終結から間もない1946年。 イタリア半島付け根の地中海に面した街、ジェノバに拠点をおく「ピアッジオ社」の社長 、エンリコ・ピアッジオが生みの親です。
戦時中、航空機をつくっていたピアッジオ社が戦後に人々の暮らしに密着した平和産業に方向転換するべく思い浮かべたのが“スクーター”でした。
製作するにあたっては、モーターサイクルの変形ではなく、むしろ超小型の自動車を意図した乗り物を目指しました。
それゆえ、ガソリンタンクやエンジンをシート下の目立たぬ場所に収め、乗り手の足元には広い空間を確保しフットボードを設け両足を開くことなく、座れるようにしました。
完成されたスクーターに名付けられたのはベスパ。(イタリア語で「蜂」を意味します)
世の中に登場したベスパは、そのデザイン性からすぐに人々を魅了することになります。
主に大衆の移動手段として開発されたベスバでしたが、機能性と優れたデザインから階層をも超えて愛される乗り物となりました。
世界中に輸出され、銀幕にも重要な小道具として出演し、ハリウッドスターのようにセレブリティにも愛され伝説をつくっていきました。
「ローマの休日」は言わずもがな、その独特のキャラクター性ゆえ、ベスパは多くの映像作品に単なる車輌以上の意味合いで登場します。最たる例が1979年の「さらば青春の光」です。
後述のモッズ族の青春を描いた名作ですが、スティング演じるカリスマ「エース」の愛車【160GS】が当時の最高級ベスパとして描かれています。「アメリカン・グラフィティ」(1973年)では気弱なバイト青年テリーが背伸びをしてベスパに乗り、うまく扱いきれず、ぶつけてしまうシーンがあります。ベスパファンにはテリーの精一杯ぶりが伝わってニヤリとさせられます。
日本人には想像しにくいことですが、ベスパはスクーターにもかかわらず、モータースポーツとは密接な関係にあります。何しろ最初の生産型「98」にも「コルサ」と呼ばれるレースバージョンが存在していましたし、「150GS」で初めてスクーターとしてオーバー100Kmのモデルを生産できたのも、それ以前にイタリアの様々なレース活動を重ねてきた成果です。それは何より、航空機技術を応用したモノコック構造の超軽量ボディと小型高出力のエンジンによるところが大きかったのです。そのDNAは最新型にも脈々と受け継がれています。イタリア人のつくったものである以上、スピードとはやはり無縁ではいられないのです!
ベスパの魅力は車体を彩るアクセサリーの豊富さにもあります。それらをプラスすることで自分だけのベスパをつくれるのです。モッズ時代は「ウルマ」「ウィガーノ」といったメーカーの技術的なアクセサリーが人気を呼びましたが、現在でも旧車種、現行車種ともに数多くのカスタムパーツが製造されています。スポーティーに走りたいオーナーには、特殊なピストンやマフラーなど、各種のチューンナップパーツも充実。オートバイ的な軽快さと自動車的なスタイリング、色彩の魅力を兼ね備えているベスパだからこそ、できる遊びなのです。
デザインコンセプト
VESPAのプロトタイプ1号車であるMP6を、近未来的に再現した美しいプロポーションはまさに芸術的デザイン。側面のシェイプは伝統的なオメガΩの形状を継承し、
斬新な形状のシートは、クラシカルVESPAのデザインを強調しました。
VESPA 946は、独創性溢れる特別なモデルです。
より野心的で魅力的なデザインを実現
本当の贅沢を毎日、より野心的で魅力的なデザイン実現。
伝統を守りながら、さらにベスパの可能性を表現。
ハンドルバーの形状、フェアリングの割合、サドルの急落カーブはすべて初期の図面から今に至ります。
職人が細部にもこだわり、未来的なデザイン実現。
環境を考えた未来のバイク
ベスパ946は、ABSブレーキおよびASRトラクションコントロールを持っています。 4ストローク125cc monocylinderエンジンは、まだ初期のことも要件に対応しています。 そして、そのカテゴリーで最高のパフォーマンスを保証します。 電子注入、3バルブ分布、摩擦の低減および改良された流体力学が急激に新たなベンチマークを確立する上で、 消費と排出量を削減し、現行の規制を超えました。
永遠と輝き続けるVespa946
クラフトマンシップであり、“Made in Italy”である946はこれまでの モーターサイクルよりユニークで貴重な存在です。革新的なデザイン、スチールフレームとアルミパーツを組合わせたボディー、そして新しいハンドメイドでの生産工程により、 Vespa946は宝石の様に永遠と輝き続けるでしょう。